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追悼岡田繁幸総帥

昨日BRFの岡田繁幸氏が急逝されたという訃報を知りました。
元々お若い頃に結核になるなど身体があまり丈夫ではなく、数年前には命にかかわる程の大病をされ、その後も健康状態が優れないとは聞いていましたが、突然の訃報には驚くしかありませんでした。
稀代の相馬眼の達人、競馬界の風雲児等として名を上げた岡田繁幸氏、その活躍には毀誉褒貶も多かったようですが、まずはご冥福を祈ります。

私がラフィアンに入会した経緯はホームページにも記載していますが、あらためてラフィアン、岡田繁幸氏との思い出を記したいと思います。

私が一口馬主になろうと思ったのは2000年のこと。
数年前から競馬を始めたばかりで、毎週のように競馬場で観戦していましたが、ゲームの「ウイニングポスト」とマンガの「じゃじゃ馬グルーミン★UP!」にもはまり、牧場や馬主といった競馬界全般に興味を持つようになりました。
そして、単に馬券を買うだけでなく、特定の馬にかかわるのもいいなあと、いつかは本当の馬主と思いながらも、現実的には難しいので、馬主の疑似体験を求めて一口馬主になろうと考えたのです。

社台に入会することなど念頭になく、まずはクレジットカードのJCBで知っていたジョイと当時人気のシルクのパンフレットを取り寄せました。
その頃は今のようにクラブや会員のホームページはそれ程充実しておらず、各クラブの詳しい情報など知りようがありません。
そのうちに競馬情報誌の記事で、社台の評価が高いのは当然として、一口馬主クラブでまともなのは社台とラフィアンくらいだというのを目にしました。
要は、生産から育成まで競走馬をクラブ単独で管理しており、肝心の馬が走るのは、社台とラフィアンくらいで、ラフィアンはBRFの自家生産馬と日高の牧場からの購入馬を募集にかけ、BRFの坂路で鍛えて2歳夏から早期デビューさせて、血統馬でもない安馬で勝ちまくるというものでした。ここで初めて岡田繁幸氏の存在を知りました。

実はラフィアンという名前は聞いたことがあるような気がしましたが、あまり記憶にないクラブでした。
インターネットで調べるとホームページがあり、ようやく“マイネル”のクラブであることに気がつきました。
ホームページには所属馬のデータもあり、出走率と勝ち上がり率が高いことがすぐにわかりました。出走率が9割以上で、そのうちのほぼ半分が勝っている状況で、出走するのがやっというクラブとは格段の違いでした。
ただ、知っていた活躍馬はマイネルラヴとマイネルマックスでしたが、何のことはないGI馬はこの2頭だけで、圧倒的に1勝かせいぜい2勝止まりの馬が多く、所属馬が多い割りにはオープン馬もあまりいないので、堅実なもののパッとしないクラブだなあという印象でした。
とはいえ、出資したのにその馬が出走しなかったら勝ちも負けもないと思い、2001年にラフィアンに入会することにしました。

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